生活の倫理

生活の感想

存在について

 

私は私の利益を考えるならば、生まれてこないほうがよく、そして生まれたとしてもなるべく早く死んだほうがよい。このことをはっきりと考えだした大学3回生の冬、私は遺書として、この主張を論文にまとめようと考えていた。同じことを考えた人間が、数年前まで韓国に存在し、そして完遂したことを後に知った。

そのことを知った4回生の夏には、私は冒頭の考えを強く持ち続けていたものの、それでも生きようと考えていた。私が生きてこの主張をしていくことで世界から減らせる苦痛の量は、私がこれから感じ発生させる苦痛の量を上回るだろうと考えていたからだ。より大きな価値である、より大きな苦痛の削減。そのために私は我慢して生きようと考えていた。

この考えが変わったのは4回生の冬だった。この少し前に大きな悲しみと自信の喪失があり、世界から意味が失われ、何もできなくなってしまった。苦痛を生じさせ得る全てをなくさなければいけないという価値観を変わらず持ち続けながら、その価値を実現するための能力を全て無くしてしまった。こうなってしまうと、もはや我慢して生きることはより大きな苦痛の削減には結びつかず、なるべく早く死ぬことが、自分にとっても世界にとってもよりよいことだと穏やかに納得していた。

より大きな苦痛を減らす能力があるために苦しみながらでも生きる意味がある状態から、より大きな苦痛を減らす能力がないために生きる意味がない状態へと変わった。前者は望ましい状態で後者はそうでないと感じるかもしれないが、私にとっては、どちらでも同じことだった。

しかしこの願いも実現されなかった。生物的な身体は、私の幸福を少しも考えていない。穏やかに納得して死を望む人間の願いが叶えられないこと。これは最も大きな害悪の1つだ。このときばかりは、世界への愛が失われてしまった。私をここまで苦しめる世界を、私はどうして自分を犠牲にしてまで、よりよいものにしようとしていたのか。世界への愛が失われたことで、私を動かす動機がいよいよ失われてしまった。もう善を願わない。愛を感じない。美を愛せない。善を失ってしまった。愛を失ってしまった。美を失ってしまった。それでも死ぬことができなかった。

私は私の価値観に従って、価値を実現して生きることも、価値を実現せず死ぬこともできなかった。そのことを受け止め、なるべく穏やかに死ぬまでをやり過ごそうと決めたのは、修士1回生の春だった。世界から意味は失われたままだが、それでも死ねない以上は世界は続いてしまう。意味が失われた世界でも、より悪い状態を避けるという消極的な動機のみによって、穏やかに働いていける職業を考えた。何も楽しくなくても、それでも何も苦しくないわけではない。その苦しみから逃げるための選択だった。自分の価値観の全てに背いて、全てに失敗して、最も意志の弱いものとして、もう2か月ほど生きた。

この考えは今後どう変わっていくのだろうか。

2021.07.07 03:31