生活の倫理

生活の感想

ネイル・気分・循環


1ヶ月ぶりにネイルを塗った。爪を綺麗にしていると、適当な格好をしていてもなんとなく格好がつく。そんな気がする。そんな気がするということが、実際そうであることよりもずっと大切なことだ。


思い込まないと生きていけない。生きていかなくてはいけないわけではないが、死ねないという条件の中では、生きていけないよりは生きていけたほうがいい。


1ヶ月ネイルを塗れなかった。私はほぼ常にネイルをしているので、デートの予定もあった中でのこの事実は、それなりに大きい。


冬に負けてしまう。この寒さ、暗さのなかで、それでも元気でいることが私にはできない。苦手な厚着をしてまで、苦手な暖房をつけてまで、生きていたいと思えなくなる。厚着をして暖房をつければいい。そんなことはわかっているのだが、絶えず毎日それをすることはできない。


習慣的な行動が苦手だ。生きていたくないということに関わっていると思う、これをずっと続けるのかと思うと、いますぐに全てをやめたくなる。断絶を願うし、断絶はあると思っている。火事は起きるものだと思っていた。どこにも家を買いたくない。


爪はすぐに伸びる。身体は入れ替わっていく。また新しい色をのせなくてはいけない。このことは嬉しい。


色の名前はWILD WINGSで、ある時期に恋人のことを文鳥だと思っていたので、塗ってあげるためにプレゼントしたものだ。


自分のために料理ができない、自分のために室温を整えられない、自分のために服を買えない、自分のために爪を塗れない。これらは全て冬にだけ起きる。夏は全てできる。夏は9割自炊だが、冬は1割だ。夏は自分の料理が一番美味しい。冬は自分で作ったものが一番美味しくない。


熱く光に溢れる世界と、冷たく暗い世界。この繰り返しに慣れることができない。世界は一方向に進んでほしい。回転する、何度もやり直す、有機的な世界。


男性の先輩から、ネイルをしている女性をみると僕には無理なんだろうなと身構えてしまうと、言われたことがあった。そう思うならそうなのだろう。そう思うということは、実際そうであることよりもずっと大切なことだ。


気分のほうが事実よりも大事だ。事実は無限にあり、事実だと思っていることは間違いかもしれない。気分はひとつしかなく、間違えることはない。気分を通してしか、世界を眺めることはできない。


季節性情動障害というものがあるらしく、自分はこれなのだろうと思っている。これは妊娠可能年齢の女性、特に20代前半の女性の有病率が高いらしい。


冬に自分のために何かをすることは難しい。他人のためにネイルを塗ることができた。爪がブロンズに輝いている。


少なくとも3年、症状が繰り返している。春になるとこの気分が終わることはわかっているが、同時に、冬になるとまたこの気分に戻ることがわかっている。


絶望の終わりがみえるが、終わった後にまたくる絶望ももまた、先にみえている。

 

2022.02.05 14:46