生活の倫理

生活の感想

『通天閣』西加奈子

 

コンビニ店員の中国人がとても好きだった。

 

 

「休みはあるのか、寝ているのかと、こちらが気にかけてしまうほど、毎日いる。」

 

最初の描写は典型的な外国人労働者なのに、肉まんを素手で掴みおでんの味を自分好みにしダンボールを蹴りつけて潰しと、やりたい放題。

 

 

舞台である新世界の住民にはわざわざ苦情をいれ改善を求める気力はないから、彼の牙城は崩れない。

 

 

 

 

夏に韓国に行った。そこで見た店員さんたちもすごく自由だった。

 

 

朝の10時ごろに、チムジルバンという韓国のサウナに行った。

一階で受付を済ませて二階にあがると、そこにはタオルを顔の上に乗せ眠るおばちゃん2人の姿があった。

 

 

 

友人とこれはどういうルールなのかと話していると、その声で起きたのか1人のおばちゃんが起き、「イロナイロナ!」と騒ぎ出した。

 

あとで友人から聞いたところによると、これは「起きて起きて!」という意味らしい。

 

 

何事かと思っていると、奥に引っ込みスタッフらしい服を着て出てきた。アニョハセヨ〜、と。

 

 

お客さんじゃなかったのか。

 

 

お客さんがまだいなかったから寝てたんだ。

 

 

 

 

 

西加奈子の小説に話を戻す。

 

ただ時間を過ごすことを目的として、日々を過ごしてしまうことがあなたにはあるだろうか。

 

私にはある。

 

 

勉強にも、サークルにも、バイトにも、遊びにも、趣味にさえ情熱を注げない時期。

 

 

ベッドから身体を引きずり出して、入ってる予定を消化するだけの時期。

 

 

この時期は、後から思うと勿体ない時間の使い方をしているが、それ以外の過ごし方は無理なのだから仕方がない。

 

 

 

スマホを触っていても、普段はdマガジンで雑誌を読んだりKindleで無料の本を漁ってみたり、ZOZOTOWNで物欲を燃やしたり、このブログを書いたりと、ある程度は生産的に過ごせる。

 

しかしこの時期は、LINEとInstagramTwitterの巡回しかできなくなる。スライムを握りつぶす動画や石鹸を切り刻む動画を、もうどれだけ無為にみたか。

 

 

その感覚を極限化したみたいな人が、この小説の主人公だった。

 

 

ただ1日を消費し、罰のような時間を耐え抜く。

意識的か無意識的かは問わず、そういう人間はある程度いる。

 

 

私は一時的にそうなるから、勿体ないなと後から思うが、常にそうならそれはそれで、期待値が低いからこそ安定した精神で日々を過ごせる。

 

 

そんな日々の中で救いを待ったり、他人に依存してしまうと、低いところでの安定のなかに不安が生まれるからこれは本当に辛い。

 

 

安定したいな。

 

 

2018.10.03 13:54