『独白するユニバーサル横メルカトル』平山夢明
この本はだいぶ昔に読んでいて、いまでもたまに読み返す好きな短編集だ。
私が平山夢明を知ったのはこのミス(このミステリーがすごい!の、いま調べたら2007年度)に紹介されていたからだから、発掘したと言えるほど古参なわけではない。
しかしこれを読んだ小学生時代には、作家について調べるという習慣がなかったので、作風と図書館に2冊しかなかったことからマイナー作家だと思っていた。
そしてそのイメージが今でも残ってた。
だから映画化で急に有名になった気がして、私は前から好きですよと思い嬉しくなった。
主演は藤原竜也の監督は蜷川実花で全国配給だ。ヘルタースケルターだ。
平山夢明は、小林泰三と江戸川乱歩と並んで好きな猟奇系というかホラー系作家の1人だ。
ジャック・ケッチャムも一時期好きだったが、読んでいてしんどすぎるので読まなくなった。
どの作品も、特筆してこのシーンがいいとか、この設定が熱いとかはない。ではなぜ好きなのかというと、どの作品もすごくちょうどいい感じなのだ。ちょうどいい感じの長さで、ちょうどいい感じにSFっぽくて、ちょうどいい感じに描写がエグい。そして質はとてもいい。
ホラーを書く人は他のジャンルと比べて、文体というか読んでいて感じる文章の雰囲気が、作品によってあまり変わらないような気がする。
平山夢明は結構変わると思っている。この短編集の中でも『無垢の祈り』と『ニコチンと少年』はちょっと似てるけど、その2つと『卵男』と『Ωの晩餐』(この2つもちょっと似てる)は雰囲気が違う。
それがいいって訳でも悪いって訳でもなくて、ただそう思うというだけ。
映画化された『DINER』はどうだったかなと思い出そうとしたが、表紙のハンバーガーがすごく美味しそうだったことしか覚えていなかった。CMでこのスフレを食べるために生きてるみたいなセリフを聞いたが、スフレが出てきた記憶すらない。
最近友達とも話してたことだけど、本読んだり勉強しても全部忘れるから本当に意味はないなと思う。
その友達もたくさん本を読む子だから、読書や読書する人への悪口ではなくて、本当にただ、全部忘れるから意味はないなと思う。それは悪いわけではない。
日記やメモや、こうしてブログに書くことで多少は忘れないようになるかもしれない。
しかし考えてみたら、別に忘れたくない訳でもない。
単にこの物語は面白いなとか、この人の主張は面白いなとか、行為自体が楽しいという価値だけで読んでいるのかもしれないなと、最近は思っている。内容は忘れるのだから。
人と話すときに最近こんな本を読んだとか、こういうことを考えているとかは、言えた方が楽しいから直近のことは覚えていたいけど。
でもそれなら、前に読んだ本とか考えてたこともちゃんと覚えておいて、比べられたり順序立てられたりする方が楽しい。
やっぱり覚えていた方が良さそうかもしれない。
このブログもタイトルだけ記録するくらいの使い方で、適当に忘備録的に書いていこうとは思っているが、ここ最近は自分を外に発信していくことに若干の抵抗がある。
直接の会話やLINEではそんなことはないが、Twitterやブログや、インスタのストーリーにもためらいがある。
それはなぜなのか、ここのところ考えてたが、最近自分は常に間違っているだろうなと思って(しまって)いることが理由として大きいと思う。
いままでも自分がいつも正しいと思っていたわけではないが、正解に近いものを出しているんじゃないかなとは思いながら暮らしていた気がする。
そう思わないとやってられないし。
そう思わないとやってられないなら、今はやってられていない。
論理的にはそうだ、しかしいまが特にやってられていない状態かというとそうでもなくて、就活を全く頑張れていないことを除けば、当者比では楽しく暮らしているほうだ。
ただ自分は常に間違っている感覚だけが、なんとなくあって、そのために公開されるものにちょっと抵抗がある。
間違ってる感があるのはより良くしようみたいな気持ちに繋がる気もするが、焦燥感はストレスなので、早めになんとかしたい。
そういう感覚に詳しい人がいたら教えてください。自分が常に間違ってるだろうという感覚に詳しい人なんているのかはわからないけど。
2019.07.30 22:17