『食味歳時記』獅子文六
私が高校時代まで過ごした松阪の駅前は、シャッター街というほどではないが、景気が良さそうなのはチェーン居酒屋だけの、よくある田舎の商店街だった。
ここ3年ほどは、若い人がおしゃれなコーヒースタンドやバルやジェラート屋やらをやっていたりもする。
でもそれはごく一部だし、そんなに流行ってもいない、そんな町だ。
そんな駅前の、私の通っていた東進のすぐ隣に、30代半ばの店主の個人書店が5.6年前にできた。
文化の乏しい田舎には書店といえば、広大な駐車場を持つ平屋建て大型書店(広いだけで品揃えは良くない)か、ショッピングモール内の未来屋書店か、ブックオフしかない。
古くからの商店街の書店といった風情あるものもあるにはあるが、テナント料を払う必要がないゆえ赤字ではないから、なんとなく続けている、そんな老いたものだ。
そんななかでその書店は、文化や文化っぽいものを愛する少女であった私の目には魅力的に映った。
経営を応援したい一心で、少ない小遣いから買うと決めた本は、その書店でばかり買っていた。
先日帰省した際、駅で少し時間を潰す必要がかったときに、ふと思い出してその書店に行ってみた。
店主は相変わらず、物静かで丁寧で、商店街から渡されたのであろう松阪木綿のトレーを会計に使っていた。
変におしゃれぶらず、商店街にちゃんと馴染もうとしている。えらいな、と思った。
そのとき特に買おうと思っていた本はなかったが、獅子文六のエッセイが置いてあったので買ってみた。
以前古本屋で推されていたので読んでみた『コーヒーと恋愛』がこの作者のものだった。サニーデイサービスの曲名にもなっている作品だ。
可愛らしい文体に軽やかな展開が心地よく、それ以来この人の作品はもっと読みたいなと思ってた。
獅子文六は明治から大正くらいの人だ。だから作中で、昔は美味しかったが最近は全く味が落ちてしまってだめだとよく言うのが、なんとなくおもしろい。
作家だけあって、接待や付き合いでしょっちゅう料亭や旅館に行き高級で美味しいご飯を食べてお酒を飲む。
大抵は、東京か名も知らぬ旅先の田舎にいる。
だから、私の知らない世界にこんな食生活があったのか、美味しそうだな、そんなあやふやな想像で読み進めてた。
しかし後半に差し掛かったあたりに、「神戸と私」という一編があった。
そのなかにはフロインドリーブやユーハイム、凮月堂という馴染みのある名前があり、作者が神戸で訪れた店として、私も行ったことのあるハナワグリルという洋食屋が紹介されていた。
現実感のない、昔の好事家のエッセイとして読み終わろうとしていたが、この一編で現実の日本にあった食文化として受け入れることができた。
神戸に暮らしていてよかった。
三重で暮らしているままなら、この本を読むことがあっても、読み取れるものが随分違っただろう。
東京で暮らすようになれば、これまでに読んだ文章も、身近に感じられることが増えるのだろうか。
2018.07.01 16:58