生活の倫理

生活の感想

愛は滲んで範囲を広げる

 

 

私は野球を観ない。

 

 

野球が好きな人々は、大抵ある特定の球団を応援している。

 

 

その球団に所属している選手も好きで、かつてその球団に所属していた選手にも愛着を持つことが多い。

 

 

それはその球団に所属していた頃にその選手のことが好きになったからだろう。

球団への愛がその選手に広がり、その球団を離れても続く。

 

 

野球が好きな人々は、大抵の場合親などの近しい人が好きだったから観るようになったと言う。

 

 

近しい人が好きなスポーツを一緒に観ているうちに自分も好きになっていく。

それはもちろん触れる機会が多かったということにも原因はあるだろう。

 

好きな人が好きなものが好きになる経験は、多くの人にあるのではないかと思う。

そして、もしその人のことを好きではなくなったとしても、影響を受け好きになったものへの愛は変わらないことが多い。

 

 

人への愛がその人の好むものにまで範囲を広げる。

 

 

愛は滲んで範囲を広げる。

今回のタイトルに使ったのは、私がとても好きでずっと覚えている言葉だ。

 

 

ふとこれはどこで見た言葉だったか、そう思って調べてみたけれど、それらしいものに辿り着かなかった。

 

 

それらしいものに思い当たったら教えてください。

 

 

滲んで範囲を広げる愛は、ナショナリズムレイシズムといった差別感情に繋がるようにも思えるかもしれない。

 

 

しかしその愛は実は滲み範囲を広げていっていないのではないかと思う。

身近な人への愛から国家へ人種へと愛を広げられるならば、世界へ人類へと広げられないとは考えにくいから。

 

 

滲んで広がらない愛は、対象を鏡にした自己愛でしかない。

 

 

自分を愛してくれる近しい人への愛、自分の所属する集団への愛、自分の住んでいる国への愛。

 

 

それらが自分を起点にしている限り、範囲を広げていくことは難しい。

 

 

関係性を超えた、対象を好ましいと思う感情を最も大きな理由とした愛を大切にしていきたい。

 

 

 

 

 

愛だとか世界だとか綺麗な感じのことを書きすぎたけど、最近は本当にこんなことを思いながら生きています。

 

 

それでは。

 

 

2019.10.07 16:30

タピオカと誠実さ

 

 

夕方ごろに六甲道商店街の新しいタピオカ屋さんに行った。

 

めちゃくちゃにお腹がすいていたので、ジャスミンミルクティーのミルクフォーム乗せという重めのメニューの、しかもLサイズを飲んだ。

タピオカを飲むのは久しぶりだから、少し値段は高くなるけど盛っちゃおうという気持ちだったけど、タピオカも別料金のようで710円になってしまい涙がでた。

でもお酒2杯飲むより断然美味しいし幸せになるから全く問題はなく最高であった。

 

その店を初めて見つけたのは、ちょうど昨日飲み会に向かう前だった。だからその席で耳より情報として、商店街にタピオカ屋さんができたことをお知らせした。

 

それに対して、「出たタピオカ笑」という反応をされ、ああインターネットの人たちは実在するのかと思った。

どこかで(主にTwitterで)見たことあるような言説をそのまま音声で聞けた。

「バエのために超高カロリー超低原価のタピオカに行列する奴ら笑」みたいな、いま文字にしていても嫌だなと思うような態度が実在した。

 

私はタピオカは大好きだけど、例えばラーメンも大好きで神戸で美味しいと聞く店はほとんど食べていて、京都くらいまでならラーメンを食べることを目的に出かけて行ったりもする。

なぜいまラーメンの話をしたかというと、「美味しいから食べる」のはタピオカでもラーメンでも全く変わらないということをいいたかった。

タピオカではなくラーメンなら、「そうそう知ってる〜!まだ行ってないんだよね〜!友達は行ってたけど美味しいって言ってた!今度行こうよ〜!」と、タピオカに対する女子のように言える君たちじゃないか。

 

自分の知らないことに対する態度が攻撃である人間をタピオカブームは顕在化させる。

 

その態度は好奇心や、世界の広がりの欠如だ。もっと言うと、未知への不寛容は理性的な態度ではない。もちろん常にその態度をとってしまう訳ではないだろうが、その態度を取ることは自分にとっても益のないことだという認識は必要だ。

 

タピオカが嫌いなことそれ自体に対して何か言いたい訳ではない。

むしろ人の嫌いな食べ物を聞くのはとても好きだ。嫌いな食べ物はみんな説明できるような理由があって明確に嫌っていて、本当に嫌そうに話してくれて面白い。

 

そういう話とは違って、この場合は実際君たちはタピオカを飲んだことがないんだし、知らないのに嫌うのはおかしいでしょう。食わず嫌いとも違うようだった。

そういうことを今日タピオカを飲みながら改めて考えてた。

 

未知のものへの、未知だということを根拠とする攻撃の態度が私は嫌なんだなと。

理性と誠実さを欠いたものだから。

 

いま本当に思っていて、友達にも折に触れて言ってるが、誠実で親切で明るいこと、これ以上に大事なことはない。

 

面白かったりセンスが良かったりいろんなことを知っていることを、誠実で親切で明るいという特性以上に、少し前までは重視してたように思う。

面白いとかセンスがいいとか知識があることも、もちろん良いことだしそういう人間は好きだ。

しかしそんなことは個性や性格の問題なのであって、誠実さや親切さや明るさはそれよりも、質的にも異なって大切なことだ。

 

誠実で親切で明るい人間になりたいと強く思っている。

 

私は誠実であるとは言えない。誠実であろうと思う気持ちは強くあるので、誠実でなさを誇るよりは遥かに良いと思っている。しかしやはり誠実だとは言えない。

親切ではある。少なくともそう思う。

明るいかどうかは、人は相手によってペルソナ的な意味で態度を変えるので一概に言えない。

そんなに多くはないが私が暗いと形容されるときは、それは変わっているということを言いたいときが多いように思う。

それはただの言葉の間違いだが、私は中学生のころなんかは、変わっているという意味で自分は暗いと深刻にではないが思ってしまっていたような気がする。

しかし私は最終的には、自分と他人の幸せを本気で願っている本当に明るい人間だ。

 

誠実であろうとしていて、親切で、自己認識としては本質的に明るい人間。

 

 

誠実さを考えていると、他人を単なる手段ではなく目的として扱うべきだというカントの理念が浮かぶ。

 

そういえば今年の書き初めは、字面もいいし良いかと思い「真善美」にしたのだった。

 

これはここまでで書いている誠実で親切で明るいこととは違うが、人間としてのよさという意味でギリシャももう少し身を入れて勉強すると楽しいかもしれない。

 

学ぶべきことはあまりに多く、しかしおそらく院には行かないし行かせてもらえない。

 

2019.08.03 22:38

『独白するユニバーサル横メルカトル』平山夢明

 

 

 

この本はだいぶ昔に読んでいて、いまでもたまに読み返す好きな短編集だ。

 

私が平山夢明を知ったのはこのミス(このミステリーがすごい!の、いま調べたら2007年度)に紹介されていたからだから、発掘したと言えるほど古参なわけではない。

 

しかしこれを読んだ小学生時代には、作家について調べるという習慣がなかったので、作風と図書館に2冊しかなかったことからマイナー作家だと思っていた。

そしてそのイメージが今でも残ってた。

だから映画化で急に有名になった気がして、私は前から好きですよと思い嬉しくなった。

 主演は藤原竜也の監督は蜷川実花で全国配給だ。ヘルタースケルターだ。

 

 

平山夢明は、小林泰三江戸川乱歩と並んで好きな猟奇系というかホラー系作家の1人だ。

ジャック・ケッチャムも一時期好きだったが、読んでいてしんどすぎるので読まなくなった。

 

 

どの作品も、特筆してこのシーンがいいとか、この設定が熱いとかはない。ではなぜ好きなのかというと、どの作品もすごくちょうどいい感じなのだ。ちょうどいい感じの長さで、ちょうどいい感じにSFっぽくて、ちょうどいい感じに描写がエグい。そして質はとてもいい。

 

 

ホラーを書く人は他のジャンルと比べて、文体というか読んでいて感じる文章の雰囲気が、作品によってあまり変わらないような気がする。

 

平山夢明は結構変わると思っている。この短編集の中でも『無垢の祈り』と『ニコチンと少年』はちょっと似てるけど、その2つと『卵男』と『Ωの晩餐』(この2つもちょっと似てる)は雰囲気が違う。

それがいいって訳でも悪いって訳でもなくて、ただそう思うというだけ。

 

映画化された『DINER』はどうだったかなと思い出そうとしたが、表紙のハンバーガーがすごく美味しそうだったことしか覚えていなかった。CMでこのスフレを食べるために生きてるみたいなセリフを聞いたが、スフレが出てきた記憶すらない。

 

 

最近友達とも話してたことだけど、本読んだり勉強しても全部忘れるから本当に意味はないなと思う。

 

その友達もたくさん本を読む子だから、読書や読書する人への悪口ではなくて、本当にただ、全部忘れるから意味はないなと思う。それは悪いわけではない。

 

日記やメモや、こうしてブログに書くことで多少は忘れないようになるかもしれない。

しかし考えてみたら、別に忘れたくない訳でもない。

 

単にこの物語は面白いなとか、この人の主張は面白いなとか、行為自体が楽しいという価値だけで読んでいるのかもしれないなと、最近は思っている。内容は忘れるのだから。

 

 

人と話すときに最近こんな本を読んだとか、こういうことを考えているとかは、言えた方が楽しいから直近のことは覚えていたいけど。

 

でもそれなら、前に読んだ本とか考えてたこともちゃんと覚えておいて、比べられたり順序立てられたりする方が楽しい。

 

 

やっぱり覚えていた方が良さそうかもしれない。

 

このブログもタイトルだけ記録するくらいの使い方で、適当に忘備録的に書いていこうとは思っているが、ここ最近は自分を外に発信していくことに若干の抵抗がある。

 

 

直接の会話やLINEではそんなことはないが、Twitterやブログや、インスタのストーリーにもためらいがある。

 

それはなぜなのか、ここのところ考えてたが、最近自分は常に間違っているだろうなと思って(しまって)いることが理由として大きいと思う。

 

いままでも自分がいつも正しいと思っていたわけではないが、正解に近いものを出しているんじゃないかなとは思いながら暮らしていた気がする。

そう思わないとやってられないし。

 

 

そう思わないとやってられないなら、今はやってられていない。

論理的にはそうだ、しかしいまが特にやってられていない状態かというとそうでもなくて、就活を全く頑張れていないことを除けば、当者比では楽しく暮らしているほうだ。

 

 

ただ自分は常に間違っている感覚だけが、なんとなくあって、そのために公開されるものにちょっと抵抗がある。

 

 

 

間違ってる感があるのはより良くしようみたいな気持ちに繋がる気もするが、焦燥感はストレスなので、早めになんとかしたい。

 

 

そういう感覚に詳しい人がいたら教えてください。自分が常に間違ってるだろうという感覚に詳しい人なんているのかはわからないけど。

 

2019.07.30 22:17

『愛がなんだ』

 

 

この作品を観た友達が感想として、

「そんなに好きな映画だったわけじゃないけど、とにかく感想を言い合いたいから観てほしい」

と言って、私にも観ることを勧めてくれた。

 

 

そこまで観たいとは思っていなかったが、感想を言いたくなる映画を観てこの友達と感想を言い合いたいなと思い観に行った。

 

その後にその友達を含めて京都で飲む予定だったので、京都シネマという四条の映画館で観たが、ここは料金が大学生は1000円だった。すごい、みんな行こう。

 

 

観た感想としてはたしかに、めっちゃ面白いとかではないけど、感想を述べる体で自分の恋愛観や遍歴を言いまくりたくなってしまう映画だと思う。

感想という体で言いまくり聞きまくった。

 

 

『名探偵ピカチュウ』や『スパイダーバース』など、高予算高品質みんな大好きアメリカ映画ばかり最近は観ていたので、邦画のしっとり感とか気だるげな感じに戸惑った。

Netflixでもgossip girlをずっと観ているし、テンションが違いすぎる。

 

 

流行ってるだけあって感想ブログがたくさん書かれている。いくつか読んだが、ちゃんと書いてあるブログ記事をみると、このブログの作品の中身への言及の少なさが再確認できる。

 

私はこのブログで、作品を観た読んだ感想という体の日記を書いてるだけなので、熱量を向ける方向の差を感じて面白い。

 

私は日記を書く。

 

2019.05.21 11:58

『gossip girl』

 

シーズン1をいま観終わった。

 

 

SATCが好きな人はこれも好きだと思う。

私はSATCが大好きなので、これも大好き。

 

ニューヨークのセレブ高校が舞台で、主要キャラにクラスの人気者枠のセリーナとボス枠のブレアっていう女の子と、王子様枠のネイトとボス枠のチャックって男の子がいる。

 

このセリーナとブレアがめちゃくちゃに可愛いから、みんな本当に、ちょっとだけでも観てみてほしい。

プライムで配信してるし、気に入らなかったらやめればいいから。

 

2人とも顔がめちゃくちゃに可愛いのに、いつもめちゃくちゃに可愛い服を着ていて、そしてすぐパーティをするからめちゃくちゃに可愛いドレスをばんばん着る。可愛さを浴びせられる。それだけで面白い。

 

 

女の子もとても良いが、ボス枠の男の子であるチャックがまた、めちゃくちゃかっこいい。

 

 

途中から本当にチャックが大好きになってしまい、チャックがかっこいい顔をする度に歓声を上げながら観ていた。

 

 

 

あまり俳優に詳しくなく、演技の巧拙も本気でわからないと思い生きているが、チャックをみていて、これがもしかして演技が上手いということなのかなと思った。

 

 

プレイボーイでいろんな女の子にどんどん手は出していくが、チャックは毎回ちゃんと没入顔をするというか、完全に君に夢中ですという雰囲気で迫っており、すごくエロい。

 

プレイボーイだし悪い男なので、全員に本気なわけでは全くない。

 

毎回本気だが気が多いために結果的に手数が多いのではなく、本当に軽くどんどん手を出す。

 

それなのにちゃんと毎回、君に夢中オーラを出せる。チャック本当にかっこいい好き。

 

 

このただでさえ魅力的なチャックが、シーズン1の半ばあたりからブレアを本気で好きになる展開がある。それ以降は愛を知った怪物感というのか、観たらわかるが説明しにくい、とにかくものすごく良い構成要素が加わって、あり得ないくらいかっこよくなる。

 

後半は本当にチャックが出てくるのを心待ちにしてた。ダンらへんのヴァネッサとかジョージーナとかのゴタゴタはいらないから、チャックの話をしてくれ。

 

 

この感想は私がチャックのことが大好きだからなのか、実際にチャックが圧倒的にかっこよく描かれてるからなのか。

 

みんなも観てみて、推しを教えてほしい。ネイト派やダン派はいるのだろうか。

 

2019.5.13 6:45

『タルトタタンの夢』近藤史恵

 

 

この『タルトタタンの夢』は、古本屋で安めに売られていたから適当に買った本だった。そのまま適当に読んだ。すごく良かった。

 

 

食べ物の描写がすごく美味しそうで、美味しいものを食べて生きていく気持ちが高まった。

 

 

いわゆる「人の死なないミステリー」としてのほのぼの謎解きが無理なく、面白く展開されている。この形式を好むルーツはたぶんレイトン教授シリーズだと思う。あれはたまに人は死ぬけど。

 

 

短くて面白いのが一番優れているだろうという思想があるので、短編を重ねていくスタイルの短編集はすごく好き。

 

 

2019.4.30 02:13

『医学生』南木佳士

 

 

南木佳士は高三の秋くらいかな、過去問に天地有情というエッセイが出題されいて初めて知った作家だった。

 

 

 

この天地有情がすごく良くて、救いになったことは前にも書いたと思う。

 

 

 

受験が終わったら南木佳士の作品をたくさん読もうと思っていたけど、実はあんまり読めていなかった。

 

 

Amazonの中古出品が意外に使えることに気づいて本を爆買いしたときに、南木佳士を3冊買った。

天地有情』と『阿弥陀堂だより』と『医学生』だ。

 

 

読んで一番思ったことは、思考や好みがふわふわした人間だからこそ、実学を学ぶべきだったかもしれないということだ。

 

最近友達(さよ)とも言っていたことだけど、鬱傾向がそれなりにあって基本的なスタンスが辛めの人間は、せめて他の人間の役に直接的に立って、そこに存在意義を見出していかないといけない。

 

工学部とかに行って、インフラを整備した方が良かった。哲学とかは知らん。

 

 

 

北海道に行ったときに、道路作るのは重要なことだと、強く思った。

 

作ってもすぐに古くなり、また張り直さないといけない。しかし張り直せば、とても多くの人が、また十数年快適に暮らせる。これは救いだ。

 

 

世界の進行は直線的じゃなく循環していて、私も世界の循環の一部だと思いたい。

 

いまの私になにができるのか。役に立つことは、つけめんとまぜそばのどちらを食べるか聞いて回るくらいしかしていない。

 

美味しい食べ物を食べさせることは、他人に幸福を提供することで、根源的な生きる意味に繋がる。いまのバイトを始めてから、そう感じている。

 

 

他利的な意味ではなく、純粋に自分の幸せのためにも、他人を幸せにすることは意味のあることだと思う。

しかし他利を実感できる職業は、大抵賃金が安い。

 

私は美味しくて高いご飯を食べてお酒を飲みたいし、いい気分になれる服を着ていたいし、広くて綺麗な住みやすい部屋で暮らしたい。

 

自分が幸せになりたいという欲望には、他人を幸せにすることが含まれていて、その折り合いをどうつければいいのかわからない。

 

2019.4.30 1:19