生活の倫理

生活の感想

『哲学を着て、まちを歩こう ファッション考現学』鷲田清一

 

 

外は35度に達している夏の正午過ぎ。

 

 

26度の空調の中で熱い紅茶を飲み、大学をサボって私のベッドで昼寝をする人間を眺めながらこの本を読んでいた。

 

 

 

鷲田清一の本で、『モードの迷宮』という本がある。

 

それを読もうかなと思いジュンク堂の棚の前に来て、鷲田清一の本をパラパラ見ていたら、これが一番面白そうに思えたから買ってしまった。

 

 

タイトル的にちょっと、本当に、絶対に人前では恥ずかしくて読めないなとは思った。

 

私は哲学専修だから。自分がもし哲学専修じゃなくて、哲学専修の友達がこれを読んでいたら絶対になにか言う。そして絶対に言いふらす。

 

しかしそれでも、面白そうと思った本を、やっぱり読むべきなのだ。

 

 

読んでみたらキャッチーなほうの主題じゃなくて、副題のファッション考現学のほうがしっくりくる内容だった。

 

哲学っぽい内容もあるけど、ファッション哲学っていうよりはファッション思想とかファッション史みたいな。ファッション言い過ぎだな。

 

ファッションって字面がなんというか、ッの前も小文字だからめっちゃ吃音が強いように見える。

 

 

本読んでいるとたまに「それ私も思ってたけどやっぱりそうなのか!でも発表されていたのか!悔しい!」と思うことがある。

 

 

いまパッと思い出したところだと、江戸川乱歩の鏡地獄は、あれは本当は私の作品です。嘘だけど。

そういうときは大抵、自分が考えていたことと似ているけど、自分がやるより数倍いい形で発表されているから、諦めはつく。

 

 

この本では77ページが本当にそれだった。

 

高校時代が受験のためにあって、大学生活が就職のためにあって、会社員生活が老後のためにある。そういう考え方がある。

 

それがなんとなく嫌だなと、じゃあいつ自由になるんだよと思っていた。

 

 

現在がね、それ自体で充足しないのが嫌だったんだね。これを読んでしっくりきた。

 

 

服を着るのは好きだけど、お金をそんなにかけられなくて、ファッションをしっかりやれていないなとずっと思っている。

 

 

せっかく自由な身分なんだし、いろいろ買って着てみるようにしようと思う。

 

 

(読んだのは結構前だけど、下書きに眠っていたので更新)

 

2018.08.10 04:58

『もういちど生まれる』朝井リョウ

 

冷たくした部屋で布団を被り、背後に汗ばむ気配を感じながら読み終わった。

 

 

 

世の中に美しいものはそんなになくて、たまにそれを見ると世界からの肯定を感じる。

 

 

午後6時前に滝川記念の横を通ったときに、日差しの角度がとても綺麗で、教会の鐘が鳴った。

この風景は私のことが好きなんだろうと思った。

 

 

こんなときに天地有情は本当なのだと思う。

 

 

 

 

輝きは文章の中にしかない。

しかないは嘘だ、言いたかっただけだ。人は文章を読むとき、その風景を思い浮かべながら読む。そのときの画というのは自分のなかの、想像できるなかで最高のものだと思う。

 

だから、文章はその人が美しく感じるものが創られ易い表現だと思う。

 

 

朝井リョウの小説読むと、小説を書くのは本当に大変なんだろうなと思う。

 

自分のなかの、かっこつけて人から好かれたくてすごいと思われたくて、外に出していない感情や思考が、作品内で読んでいて嫌になってくるくらいしっかり描かれてる。

 

 

でもそれだけじゃなくて、それぞれが救われるわけではないのに、読後感が光を見たような気持ちになる。

 

 

朝井リョウは青春作家みたいなイメージを持たれがちだけど、鬱作品は多いし、私はとても好きだ。

 

 

2018.08.10 04:45

『ティファニーで朝食を』ブレイク・エドワーズ

 

 

そりゃ欲しいよ。

ティファニーで字入れしてもらった、お菓子のおまけの指輪なんて。

 

その思い出だけで十分じゃん。

 

 

そのおまけっていうのも、ドクの食べてた袋からもらったものだし。

 

 

全体としてはオードリーの可愛さで成り立ってる映画だけど、そこが本当に良かった。

おもちゃの指輪を私にください。

 

 

2018.07.06 02:22

『Sex and the City 3』HBO

 

SATCを家にいる間はずっと観ている。

 

 

だから書いていなかったけど、今観ているのはもうシーズン5だ。

 

 

シーズン3はなんだったかな。

 

 

キャリーがビッグと不倫してるころかな。

 

 

 

ブログを書く間も無く続きを見続けてるんだから、すごーく面白かったのだろうとは思います。

 

 

2018.07.01 20:35

『食味歳時記』獅子文六

 

 

私が高校時代まで過ごした松阪の駅前は、シャッター街というほどではないが、景気が良さそうなのはチェーン居酒屋だけの、よくある田舎の商店街だった。

 

 

ここ3年ほどは、若い人がおしゃれなコーヒースタンドやバルやジェラート屋やらをやっていたりもする。

 

でもそれはごく一部だし、そんなに流行ってもいない、そんな町だ。

 

 

そんな駅前の、私の通っていた東進のすぐ隣に、30代半ばの店主の個人書店が5.6年前にできた。

 

 

文化の乏しい田舎には書店といえば、広大な駐車場を持つ平屋建て大型書店(広いだけで品揃えは良くない)か、ショッピングモール内の未来屋書店か、ブックオフしかない。

 

 

古くからの商店街の書店といった風情あるものもあるにはあるが、テナント料を払う必要がないゆえ赤字ではないから、なんとなく続けている、そんな老いたものだ。

 

 

そんななかでその書店は、文化や文化っぽいものを愛する少女であった私の目には魅力的に映った。

 

 

経営を応援したい一心で、少ない小遣いから買うと決めた本は、その書店でばかり買っていた。

 

 

 

先日帰省した際、駅で少し時間を潰す必要がかったときに、ふと思い出してその書店に行ってみた。

 

 

店主は相変わらず、物静かで丁寧で、商店街から渡されたのであろう松阪木綿のトレーを会計に使っていた。

 

変におしゃれぶらず、商店街にちゃんと馴染もうとしている。えらいな、と思った。

 

 

 

そのとき特に買おうと思っていた本はなかったが、獅子文六のエッセイが置いてあったので買ってみた。

 

 

 

以前古本屋で推されていたので読んでみた『コーヒーと恋愛』がこの作者のものだった。サニーデイサービスの曲名にもなっている作品だ。

 

可愛らしい文体に軽やかな展開が心地よく、それ以来この人の作品はもっと読みたいなと思ってた。

 

 

 

獅子文六は明治から大正くらいの人だ。だから作中で、昔は美味しかったが最近は全く味が落ちてしまってだめだとよく言うのが、なんとなくおもしろい。

 

 

 

作家だけあって、接待や付き合いでしょっちゅう料亭や旅館に行き高級で美味しいご飯を食べてお酒を飲む。

 

大抵は、東京か名も知らぬ旅先の田舎にいる。

 

だから、私の知らない世界にこんな食生活があったのか、美味しそうだな、そんなあやふやな想像で読み進めてた。

 

 

 

しかし後半に差し掛かったあたりに、「神戸と私」という一編があった。

 

そのなかにはフロインドリーブやユーハイム、凮月堂という馴染みのある名前があり、作者が神戸で訪れた店として、私も行ったことのあるハナワグリルという洋食屋が紹介されていた。

 

 

 

現実感のない、昔の好事家のエッセイとして読み終わろうとしていたが、この一編で現実の日本にあった食文化として受け入れることができた。

 

 

神戸に暮らしていてよかった。

 

 

三重で暮らしているままなら、この本を読むことがあっても、読み取れるものが随分違っただろう。

 

 

東京で暮らすようになれば、これまでに読んだ文章も、身近に感じられることが増えるのだろうか。

 

 

2018.07.01 16:58

『号泣する準備はできていた』江國香織

 

読み終わって、なにか不安な気分になった。

 

 

この本を通して不安になっていったんじゃなくて、最後の一編で不安になったんだと思う。

 

 

 

最後の話は、不倫の末に相手の男が離婚したから、やっと一緒になれるけど、離婚したのはただ離婚したかったからって話だった。

 

自分と一緒になりたかったから別れたんじゃなくて、別れた後に、じゃあ君にしようかな。そんな雰囲気。

 

 

 

本当になんだそれと思った。悲しい。

君のことは好きだけど、わざわざ離婚するほど入れ込んでるわけではないよ、そう釘を刺されたみたいで、ずるい。

 

 

 

女王蜂に「あなたは優しく狡く悪い人」という歌詞がある。それが1番強い。

 

 

 

優しい人には2種類あって、無抵抗だから優しく見える人と、本当に優しい人がいるんだといままで思っていた。

でも後者だと思ってた人には、頭がいいから優しくできるけど、本当は優しくない人が入っていたのかもしれない。

 

 

優しくありたいし優しくされたいけど、難しい。

 

2018.07.01 15:25

『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』江國香織

 

 

中学生のころ、山田詠美が好きな男の子と付き合いたいと思っていた。

 

 

田舎の公立中学校にはそんな人は居なくて、もしかしたら居たのかもしれないけど知らなくて、居たとしても私と付き合ってくれたかどうかはわからないけど、そう思ってた。

 

おしゃれに恋愛をしてくれそうだなと思っていた、今思えば相手に頼りすぎだ。

 

 

 

専修に分かれてから、授業前後に話してくれる人がめっきり減ってしまった私と、哲学専修の授業で唯一話してくれる子がいる。

 

 

その子が最近は江國香織ばかり読んでると言っていたので、読んでみた。

 

 

作家は私小説を書かなくても、作品に自分を、生活を反映してしまうと思う。

 

 

自分自身と近いからか、とりわけ女性作家の作品を読むと、なんとなく作者像をその小説から作ってしまう。

 

 

 

江國香織は、あまりその像が描けなかった。

 

 

 

ほとんどの作家の作品からは、その人自身、あるいはその若い頃の自由な生活が、奔放な生活が、退廃的な生活が、静謐な生活が、浮き上がってくる。

 

 

江國香織はそれが弱いように感じた。

これは恥じらいなのか。単に作品を作るということに対しての心情の違いなのか。

 

 

わからないけど、ある種の押し付けがましさがこの人にはなくて好感を持った。

 

 

軽やかに雑じゃなく。

 

2018.06.28 23:28