良い日記

書き散らかす

眠り続ける

 

 

 


なにもしたくなくなったときに、ひたすらに眠り続けてしまう。

 

 

全ての責任から逃れるには、まず全ての期限を破る必要がある。

 

 

どうにもなにもできないときが、どうしようもなくある。

本当にだめなことだ。そうしてしまうことがまた精神状態を悪化させる。わかっていても、なにもできないときがある。

 

 

守るべき期限を破るまでの時間、まだ行動すればなんとかなるけれど、なにもできない時間。

この時間がとてつもなく辛い。辛いじゃなくてやればいいじゃないかと、そう思うがなにもできない時間。

 

 

この時間が、それがなくなるなら全ての時間が同時になくなってもいい思えるほどに辛い時間が、眠り続けることで限りなく短くできる。

 

 

眠り続けることで、次に起きたときにはもう何かが手遅れになっている。

 

それでも次の、なにかをしなくてはいけない時間が迫ってくる。

 

眠り続けることで、また次に起きたときには何かがもう手遅れになっている。

 

 

 

頑張ればできる、頑張れば間に合う間は常に頑張るかどうかの選択を強いられる。

 

しかし一旦手遅れになってしまえば、もちろんなにか不可逆に達成できなかったことは生まれるが、なにもしなくてもタスクが1つ減る。

 

 

 

そのようにして全ての責任を放棄して、全ての達成を諦めて、大抵は2週間ほど眠り続けていれば、ほとんどのことを取り返しがつかない状態にすることができる。

 

そこまで辛い時間を耐えて眠り続けていれば、どうしてもなにもできない状態からは、社会的な惨状はともかくとして抜け出すことができる。

 

 

眠り続けることができる。

10時間ほど眠って目を覚ましてしまっても、起き出さずまた目をつぶればさらに10時間くらいは寝られる。そしてこれを繰り返すことができる。

 

 

眠り続けることさえできなかったら、一度なにもできなくなったら辛い時間をやり過ごす手立てが全くなかった。恐ろしいことだ。

 

 

なにもできなくなったらなにもせず、眠り続けて、それでもなにもしたくなかったら、そのままなにもしなければそのうち本当になにもしなくてよくなる。

 

 

このことがあるから、なにもできなくなることをあまり恐れすぎずに、楽観的に生きられる。

 

 

眠り続けることができてよかった。

 

 

2020.1.13 4:47

本を減らす

 

物を管理することが苦手だ。

 

 

そのことの実例として、私は1日5回くらいは部屋の中でスマホを失くす。

 

 

寝転がっていて立ち上がるときに、なぜか枕の下に隠してしまう。

座っていて立ち上がるときに、なぜかテーブルの死角に隠してしまう。

 

 

 

隠してしまう傾向はわかっているから、探すのにそこまで時間はかからないけど、それでも多くの時間をスマホを探すことに費やしてきた。

 

 

 

そのような性質を自覚しているので、管理能力の不足を補う術として、持ち物を少なめにしておくことにしている。

 

 

 

ただそうは言っても現状として、本と服は少なめにできていない。

 

 

 

服は軽率に減らすと季節が変わったときに困る。

頭が悪いのでそのとき着そうに思えない、いまだったら半袖の服を意味なしと思ってしまうからだ。

 

 

そして服はやっぱりあれは要ると思っても、もう一度同じ物を手に入れることは難しい。

似たような物で良しとしても、金額が少し高い。

 

 

 

 

本の場合もあれは置いておけばよかったなと思うことはある。

しかし特に稀少な本を読む趣味はないので、すぐに買うなら借りるなりできる。

 

 

ただ読み終わった本が本棚に差してあれば良いが、そうでなければ全く忘れてしまうという問題がある。

 

本当に記憶力が低いので、置いておかないと本の内容はおろか自分がどんな本を読んだのか全く覚えていることができない。

 

 

 

それなので減らす分の本のリストでも、作っておきましょう。

 

メモアプリか手帳にでも買いておけばいいのだけど、本当に減らしますよという気持ちの表明としてここに書いていく。

 

買いなおせるぞの精神でどんどん売って古本屋を儲けさせましょう。

 

 

今回は売るのにこんなに苦労するのだから、もうむやみに買わないぞという気持ちを作るために、最寄りの古本市場ではなく少し上にある口笛文庫に売りに行こうと思う。

 

 

 

『もういちど生まれる』朝井リョウ

おやすみプンプン浅野いにお(返す)

「ハーモニー』伊藤計劃

『キオミ』内田春菊

『物陰に足拍子』内田春菊

阿房列車』内田百閒

『思いわずらうことなく愉しく生きよ』江國香織

『神様のボート』江國香織

きらきらひかる江國香織

『ホリー・ガーデン』江國香織

『ボクはこんなことを考えている』大槻ケンヂ

『あつあつを召し上がれ』小川糸

薬指の標本小川洋子

檸檬梶井基次郎

『ペスト』カミュ (返す)

センセイの鞄川上弘美

『乳と卵』川上未映子

小林秀雄ー近代日本の発見』佐藤正英

タルトタタンの夢』近藤史恵

『ヴァン・ショーをあなたに』近藤史恵

『マカロンはマカロン近藤史恵

堕落論坂口安吾

『食味歳時記』獅子文六

『ロボッチイヌ』獅子文六

『絶対内定2021』杉村太郎

『東京さんぽ図鑑』スタジオワーク

『刺青・秘密』谷崎潤一郎

『陰翳礼讃』谷崎潤一郎

『蒲・重右衛門の最後』田山花袋

トム・ソーヤーの冒険』トウェイン

『捨てられないTシャツ』都築響一

『旅のラゴス筒井康隆

ビアンカ・オーバースタディ筒井康隆

『思考の整理学』外山滋比古

『乱読のセレンディピティ外山滋比古

『三酔人経綸問答』中江兆民

『李陵・山月記中島敦

『頭の中がカユいんだ』中島ラモ

『私という病』中村うさぎ

阿弥陀堂だより南木佳士

『こぶしの上のダルマ』南木佳士

草枕夏目漱石

虞美人草夏目漱石

『それから』夏目漱石

彼岸過迄夏目漱石

『門』夏目漱石

吾輩は猫である夏目漱石

『円卓』西加奈子

通天閣西加奈子

恋愛論 完全版』橋本治

『御不浄バトル』羽田圭介

『猫語の教科書』ポール・ギャリコ

『異性』穂村弘 角田光代

『不道徳教育講座』三島由紀夫

ヴェネツィア』宮下規久朗

鶴見俊輔全漫画論1・2』鶴見俊輔

赤毛のアンモンゴメリ

『日本の昔話』柳田国男(返す)

『風味絶佳』山田詠美

『放課後の音符』山田詠美

石に泳ぐ魚柳美里 (返す)

『サピエンス全史上・下』ユヴァル・ノア・ハラリ』

『それからはスープのことばかり考えて暮らした』吉田篤弘

『女子の生きざま』リリー・フランキー

 

 

2019.12.22 14:46

 

『JOKER』Todd Phillips

 

 

あまりに話題だから、これは予備知識が増えちゃう前に早めに観た方がいいぞと思っていた。

 

 

 

そんななかで、昨日の夜の予定がちょうどよく流れたので観てきました。

 

 

チケットと飲み物とポップコーンで1800円なのでレイトショーは最高の娯楽です。

 

 

 

観る前に主にTwitterで「俺は(俺たちは)ジョーカーになり得る」みたいな感想をよく見た。

 

 

 

だから暗い人間がピエロメイクして悪党(社会的強者)をバンバン殺すようになるみたいな話かなと思っていた。

 

 

 

その予想は当たってるは当たってるんだけど、ジョーカーを観て「自分もジョーカーになり得る」なんてことは思えなかった。

 

そう思ってしまってはいけないと思った。

 

 

 

私たちは、社会的強者だ。

 

 

 

いまは学生の身分でそんなにお金はないかもしれない。

でも間違いなく私たちはジョーカー側ではなく、ウェイン側とまでは言いにくいが殺される3人のエリート社員の側だ。

 

 

あるいは、欲望され拒絶する女性(この映画では隣人の女性)の側だ。

 

 

 

被害について人はよく認識できるけれど、加害について人は無意識的に行なっている場合が多いと思う。

 

 

 

自分の受けた被害、虐げられた経験からジョーカーに感情移入する。

そうして美しく映像化された弱さに自己投影して気持ちよくなることは簡単かもしれない。

 

 

 

しかし選民意識や思い上がりではなく、事実として、自分が恵まれた環境にあり能力があることを認識することは大切だ。

 

弱者ではないのに、自分を弱者だと主張してしまうことは弱者に提供されるべきだった有形無形のリソースを奪うことになる。

 

 

 

自分のことを不当に低く見積もることは謙虚でも、卑屈ですらなく、無責任なことではないかと思う。

 

生きている限り必ず、他者に対して害は与えてしまう。

 

しかしそのことを念頭に置くことで、減らせる加害は必ずあると思う。

 

 

 

 

ジョーカーを傷つけた人間には、必ずしも悪意があったわけではなかった。

 

 

 

ただ想像力が足りず、自分の加害に考えが及ばなかった。

 

 

 

格差や階級闘争だったり集団心理、映像美やジョーカーのビジュアルと煙草のかっこよさ、他にも語るべき点はあるだろう。

 

 

 

私が特に感じた点は、被害/加害の意識の非対称性と加害の意識の重要性だ。

 

 

 

加害の意識を持つには想像力が必要だとしたが、この想像力を持ちまた加害を減らそうと努力するには、頭の良さと共感能力が必要だ。

 

 

 

私は自分の幸福を1番に評価してしまうけれど、他者のそれにも十分に価値は感じる。

 

理想としては他者の幸福も自分のものと全く同じように評価したい。できていない。

 

しかし共感能力のない人間というのは意外なほど多くいて、他者の幸福に価値を感じないどころかマイナスにさえ思う人がいる。

 

 

この場合はいくら頭が良くても、加害への想像力が働いても、その加害に悪を感じない。

 

ジョーカーに出てくる「金持ち」たちは、想像力が働いていない場合も多いが、その他はこの状態だったように思う。

 

 

 

頭が良くて共感能力のある、つまり賢く優しい人間が、全く出てこなかった。

 

 

そういう人間がいなかったことがジョーカーの誕生に繋がったのかもしれない。

 

 

 

 

私たちは強者であり、ジョーカー側ではない。

 

 

そのことを正当に認識して、賢く優しい強者を目指しましょう。

 

2019.10.10 15:11

愛は滲んで範囲を広げる

 

 

私は野球を観ない。

 

 

野球が好きな人々は、大抵ある特定の球団を応援している。

 

 

その球団に所属している選手も好きで、かつてその球団に所属していた選手にも愛着を持つことが多い。

 

 

それはその球団に所属していた頃にその選手のことが好きになったからだろう。

球団への愛がその選手に広がり、その球団を離れても続く。

 

 

野球が好きな人々は、大抵の場合親などの近しい人が好きだったから観るようになったと言う。

 

 

近しい人が好きなスポーツを一緒に観ているうちに自分も好きになっていく。

それはもちろん触れる機会が多かったということにも原因はあるだろう。

 

好きな人が好きなものが好きになる経験は、多くの人にあるのではないかと思う。

そして、もしその人のことを好きではなくなったとしても、影響を受け好きになったものへの愛は変わらないことが多い。

 

 

人への愛がその人の好むものにまで範囲を広げる。

 

 

愛は滲んで範囲を広げる。

今回のタイトルに使ったのは、私がとても好きでずっと覚えている言葉だ。

 

 

ふとこれはどこで見た言葉だったか、そう思って調べてみたけれど、それらしいものに辿り着かなかった。

 

 

それらしいものに思い当たったら教えてください。

 

 

滲んで範囲を広げる愛は、ナショナリズムレイシズムといった差別感情に繋がるようにも思えるかもしれない。

 

 

しかしその愛は実は滲み範囲を広げていっていないのではないかと思う。

身近な人への愛から国家へ人種へと愛を広げられるならば、世界へ人類へと広げられないとは考えにくいから。

 

 

滲んで広がらない愛は、対象を鏡にした自己愛でしかない。

 

 

自分を愛してくれる近しい人への愛、自分の所属する集団への愛、自分の住んでいる国への愛。

 

 

それらが自分を起点に始まっている限り、範囲を広げていくことは難しい。

 

 

関係性を超えた、対象を好ましいと思う感情を最も大きな理由とした愛を大切にしていきたい。

 

 

 

 

 

愛だとか世界だとか綺麗な感じのことを書きすぎたけど、最近は本当にこんなことを思いながら生きています。

 

 

それでは。

 

 

2019.10.07 16:30

タピオカと誠実さ

 

 

夕方ごろに昨日tweetした六甲道商店街の新しいタピオカ屋さんに行ってみた。

 

 

 

めっちゃお腹すいてたから、ジャスミンミルクティーのミルクフォームありって重めのやつの、しかもLサイズを飲んだ。

 

 

 

タピオカ久しぶりだしちょっと高くなるけど盛っちゃおって気持ちだったけど、タピオカトッピングも別料金で710円になって泣いちゃった。

 

 

でもお酒2杯飲むより断然美味しいし幸せになるから全く問題ない最高。

 

 

 

昨日見つけたのがちょうど飲み会前だったから、商店街にタピオカ屋さんできてたよ知ってた?って話をした。

 

 

 

そしたら、出たタピオカ笑みたいな反応されて、あっインターネットの人たちって実在するんだって思った。

 

 

どこかで(主にTwitterで)見たことあるような言説をそのまま音声で聞けた。

 

 

「バエのために超高カロリー超低原価のタピオカに行列する奴ら笑」みたいな、いま文字にしてても嫌だなと思うような態度が実在した。

 

 

私はタピオカ大好きだけど、例えばラーメンも大好きでこの辺で美味しいって聞く店は全部くらい行ってるし、京都くらいまでならわざわざ食べに行ったりもする。

 

なんでいまラーメンの話をしたかって言うと、"美味しいから食べる"のはタピオカでもラーメンでも全く変わらないってこと。

 

 

タピオカ屋さんじゃなくてラーメン屋さんなら、「そうそう知ってる〜!まだ行ってないんだよね〜!友達は行ってたけど美味しいって言ってた!今度行こうよ〜!」って、タピオカに対する女子のように言える君たちじゃん。

 

 

自分の知らないことに対する態度が攻撃である人間をタピオカブームは顕在化させる。

そういうことかもしれないなと思った。

 

 

 

それは好奇心や、世界の広がりの欠如でしょう。もっと言うと、未知への不寛容は理性的な態度ではないでしょう。もちろん常にその態度をとってしまう訳ではないと思うけど、その態度を取ることは自分にとっても益のないことだって認識は必要だと思う。

 

 

 

タピオカが嫌いなことそれ自体に対して何か言いたい訳じゃない。

むしろ人の嫌いな食べ物を聞くのはめちゃくちゃ好き。嫌いな食べ物はみんなちゃんと説明できるような理由があって明確に嫌いだし、本当に嫌そうに話してくれてめっちゃ面白いから。

 

 

 

そういう話とは違って、この場合は実際君たちはタピオカを飲んだことがないんだし、知らないのに嫌うのはおかしいでしょうと思うんです。

聞いてると食わず嫌いともちょっと違うみたいだし。

そういうことを今日タピオカを飲みながら改めて考えてた。

 

 

 

未知のものへの、未知だということを根拠とする攻撃の態度が私は嫌なんだなって。

 

 

理性と誠実さを欠いたものだから。

 

 

いま本当に思っていて、友達にも折に触れて言ってることだけど、誠実で親切で明るいこと、これ以上に大事なことってないですよね。

 

 

 

面白かったりセンスが良かったりいろんなことを知ってるとかってことを、誠実で親切で明るいことと同じくらいかそれ以上に、少し前までは重視してたように思う。

 

 

 

面白いとかセンスがいいとか知識があることももちろん完全に良いことだしそういう人間が好きだ。

 

 

 

でもそんなことは個性とか性格の問題であって、誠実で親切で明るいってことはそれよりも重要というか、質的にも異なって大切なことだ。

 

 

 

誠実で親切で明るい人間になりたいと強く思っている。

 

 

 

 

私は誠実だとは言えない。誠実であろうと強く思う気持ちはあるので、誠実でなさを誇るよりは遥かに良いとは思ってる。でもやっぱり誠実だとは言えない。

 

 

親切ではある。少なくともそう思う。

 

 

明るいかどうかは、人は相手によってペルソナ的な意味で態度を変えるので一概に言えない。

でも本質がめちゃくちゃに暗い人間なので、実際よりは明るく見せることができてるだろうって意味で、明るくある努力をしているとは言える。

明るいかどうかは別として、明るくあるのは意志の問題だから。

 

 

 

誠実であろうとしていて、親切で、明るくあろうとしている人間。

 

 

 

誠実さを考えていると他人を手段ではなく目的として扱うべきだっていうカントの思想が浮かぶ。

 

 

そういえば今年の書き初めは、字面もいいし良いかな〜と思って「真善美」にしたんだった。

 

 

これはさっきから書いてる誠実で親切で明るいこととは違うけど、人間としての良さを求めがちって意味でギリシャらへんももうちょっと勉強すると楽しいかも。

 

 

学ぶべきことはあまりに多く、しかしおそらく院には行かないし行かせてもらえない。

 

 

 

長くなってきたので終わりましょう。

 

 

 

 

2019.08.03 22:38

『独白するユニバーサル横メルカトル』平山夢明

 

 

 

 

この作品はだいぶ昔に読んでて、今も好きだし最近も一部読み返した。でもなぜ今になって前に読んだ本を書くかっていうと、『DINER』が公開されたから。

 

前から読んでたよって言いたいんです。

 

 

 

私が平山夢明を知ったのはこのミス(このミステリーがすごい!の、今調べたら2007年度ですね)に載ってたからだから、そんな古参ぶれることもないんだけど。

 

 

 

 

これを読んだ小学生時代には、作家について調べるってことをしてなかったから平山夢明に対して「こんな作風だし図書館に二冊しかないし超マイナー作家だろうな〜」と思ってて、そのイメージが今でも残ってた。

 

 

だから主演が藤原竜也の演出は蜷川実花、バンバン広告打って全国配給ってそんなのヘルタースケルターじゃんって。びっくりした。

  

 

 

平山夢明小林泰三江戸川乱歩と並んで好きな猟奇系というかホラー系作家の1人だ。

 

 

ジャック・ケッチャムも一時期好きだったけど読まなくなった。たぶん読んでてあまりにしんどくなるから。

 

 

この作品は短編集なんだけど、『Ωの晩餐』と『オペラントの肖像』が特に良かったかな。あと今ぱらっと『卵男』を読み返してゆで卵が食べたくなったので食べました。

 

 

特筆してこのシーンがいい!とか、設定もSFとしてはよくある感じのものが多いからこの設定が熱い!みたいなのはない。だけどちょうどいい長さでちょうどいい感じにSFっぽくてちょうどいい感じに描写がエグい。質はちょうどいいじゃなくてとってもいい、良くできてる作品ばかり。めっちゃ褒めるね。

 

 

 

なんとなくホラーとか書く人って他のジャンルと比べて、文体というか読んでて感じる文章の雰囲気があんまり作品によって変わらないような気がする。

 

 

 

でも平山夢明は結構変わる感じがして、この短編集の中でも『無垢の祈り』と『ニコチンと少年』はちょっと似てるけど、その2つと『卵男』と『Ωの晩餐』(この2つもちょっと似てる)は大分雰囲気が違う。

 

 

 

 

それがいいって訳でも悪いって訳でもなくて、ただ雰囲気変わるなーってだけなんだけど。

 

 

『DINER』の方はね、食べ物の描写と表紙のハンバーガーがめっちゃ美味しそうだったことくらいしか覚えてないんだよね。今手元にないし。

 

 

CMでこのスフレを食べるために生きてるみたいなこと言ってるけど、スフレに関しては本当に出てきた記憶すらない。

 

 

最近友達とも話してたことだけど、本読んだり勉強しても全部忘れるから本当に意味ないよねって思う。

 

その友達もいっぱい本読む子だから、読書や読書する人への悪口ではなくて、本当にただ全部忘れるから意味とかはもう求めない方がいいんじゃないかって。

それだけのことなんだけど。

 

 

日記とかメモとか、こうやってブログに書くことで多少は忘れないようになるかもしれない。

でもよく考えてみたら別にどうしても忘れたくない訳でもないんだよね。

 

 

本読んでこの本面白かったなーとか、勉強してこの人の主張面白いなーとか、こういう反論もできるんじゃないかなーとか、考えること自体が楽しかったり価値があるからやってるのかなと思う。

 

 

人と話すときに最近こんな本を読んだとか、こういうことを考えてるとか言えた方が楽しいから直近のことくらいは覚えていたいけど。

 

でもそれでいうと、前に読んだ本とか考えてたこともちゃんと覚えておいて、比べられたり順序立てられたりする方が楽しいな。

 

 

 

やっぱり覚えていた方が良さそうですね。このブログももうタイトルだけ記録していくくらいの使い方でバンバン書いていこうとはずっと思ってるんですが。

 

 

 

なんだかここ最近、自分を外に発信していくことに若干の抵抗がある。

 

 

 

直接の会話やLINEではそんなことはないんだけど、Twitterやブログやあとインスタのストーリーにためらいがある。

 

なんでなのかここのところ考えてたんだけど、自分は常に間違っているだろうなと思って(しまって)いることが大きいと思う。

 

 

前までも自分がいつも正しいとは思っていなかったけど、正解に近いものを出しているんじゃないかなとは思いながら暮らしていた気がする。

そう思わないとやってられないし。

 

 

そう思わないとやってられないなら今はやってられないな。

論理的にはそうだけど、でも今が特にやってられないかというとそうでもなくて、就活全く頑張れてないってことを除けば当社比では楽しく暮らしてる寄りの毎日。

 

 

ただ自分は常に間違っているだろう感だけはなんかあって、だから公開されるものにちょっと抵抗はある。

 

 

正しくあらねばならないみたいな思想は薄めの人間だとは思ってたんだけどな。

 

 

間違ってる感があるのはより良くしようみたいな気持ちに繋がる気もするけど、焦燥感はちょっとストレスだから、早めになんとかしたい。

 

 

 

そういうのに詳しい人いたら教えてください。自分が常に間違ってるだろうって感覚に詳しい人なんているのかはわからないけど。

 

2019.07.30 22:17

『愛がなんだ』

 

 

 

なんかめっちゃ話題になってたよね。

 

 

先にこれを観た友達が感想として、そんな好きじゃないけど感想を言い合いたいって言ってた。

 

 

そこまで観たいと思ってなかったけど、感想言いたくなる映画観て感想言いまくりたいなって気持ちになったから観に行った。

 

 

 

前後の予定の影響で京都シネマっていう四条の映画館で観たんだけど、ここ大学生1000円だよすごいみんな行こうね。

 

 

観た感想としてはたしかに、めっちゃ面白いとかじゃないけど感想を述べるって体で自分の恋愛観とか遍歴を言いたくなっちゃう映画だと思う。

 

私はこう思うぞ〜〜!!ってなる。書かないけど。

 

 

最近『名探偵ピカチュウ』とか『スパイダーバース』とか高予算高品質みんな大好きアメリカ映画ばっかり観てたから、邦画のしっとり感とか気だるげな感じに戸惑いました。

 

 

恋愛ものはgossip girlを永遠に観てるし、テンションが違いすぎる。

 

 

https://www.cinema2d.net/entry/2019/05/17/110417

 

ちゃんとしたのはこの人がいいこと言ってるから読もう。

 

 

なんかちゃんと書いてあるブログ記事みると、このブログの生産性のなさが浮き彫りになりますね。

 

 

2019.05.21 11:58